短編小説「これからの物語」を書きました。そして透明水彩+水彩ガッシュでで短編小説の挿絵「雨のカフェ」を描きました。#水彩画 #短編小説 #挿絵
水彩画「雨のカフェ」
「雨のカフェ」SumiyoⒸ2021
短編小説「これからの物語」作 Sumiyo
1
雨が降り出すなんて、思っていなかった。
朝は確実に晴れていたから
生成りの木綿ワンピースを着て、
買ったばかりの空色の日傘をさしていた。
ラジオの天気予報は降水確率30%だったのに。
大きな雨粒がワンピースの裾を打つ。
初夏の青葉に静かに舞い降りる雨は
好きだけれど、
都会のゲリラ豪雨は、情緒がないと思う。
予告編もないまま、
いきなりずぶ濡れなんだから。
抱えていたフルーツショップの紙袋が
みるみる湿って、柔らかくなる。
そこからネーブルオレンジが
いまにも転がり落ちそうだ。
思い通りにならないこういう感じに、
生真面目に紡いでいる時間がかすかに軋む。
勘がよければ
日傘でなく晴雨傘を持ってきた。
もっと慎重なら
サンダルでなくスニーカーを履いた。
高校生の頃から探し続けている
「本当の恋」に出会えない理由も
こういう詰めの甘いところにある気がする。
しかし、
どっちにしろ、
運命のひとと、劇的に出会うなんてことは
映画や小説の中に
しかないと思っている。
空港でトランクを間違えたり。
図書館で同じ本に手が触れたり。
そんなこと、現実にあるのだろうか。
湿って破れた紙袋の底から
とうとうこぼれ落ちた
いくつかのネーブルオレンジが、
雨に濡れた舗道に鮮やかな水玉模様を
作った。
ネーブルオレンジをひとつひとつ
ひろい集めて抱え、
顔を上げると見知らぬカフェがあった。
2
カフェには大きなガラス窓があり、
水滴でにじんでいるが
その奥にぼんやりとカウンターが見えた。
雨はまだ止まない。
ここに、入ろう。
扉を開けると、ドアベルが涼しい音をたて、
柔らかい珈琲の匂いに包まれた。
店内に薄く漂う音楽が鼓膜へ流れ込む。
「この曲・・・」
大好きな曲だ。
ピアソラの「オブリビオン」。
泣きそうになるほど哀しく美しい旋律で
突然の雨で心に広がったざらつく風は、
すぐさま凪になった。
ランチタイムはとっくに過ぎているからか
お客さんは誰もいない。とても静かだ。
「どうぞ、お好きな席に」
低く心地よい声が響いた。嫌いじゃないな、この声。
木目の浮き出た温かみのある一枚板。
そのカウンターのむこうで、
背の高い男のひとが、珈琲ミルに豆を入れていた。
爽やかなネイビーのストライプシャツ。
微笑むと目じりに浅い皺ができる。
それは優しさの象徴だと、女の子ならみんな知ってる。
カウンターの右端の席に座り、
破れてしまった紙袋をテーブルの上に置く。
マスターは、タオルを差し出した。
ふうわりと清潔な香りがする。
受け取った指先が少しふれた。
大粒の水滴は、ざらざらと音をたてながら、
巨大なガラス窓に何本もの
曲線を描いている。
珈琲を注文した直後、
いきなり、雷の音が響き、電気が消えた。
音楽も。
「あ」
雨の糸に織り込まれた外の空気は薄暗く、
店内に一瞬、闇が広がった。
3
音楽も明かりも消えると、
カフェは物音だけになった。
窓を見た。
ペインズグレーの霧の中に雨粒が
すべり落ちる。
夜でなくてよかった。
店内は薄暗く
すべてはモノクロームに見えるけれど。
お店のBGMは不思議だ。
音が止まるといきなり時間も止まったような
不思議な空間になる。
音楽がないカフェは静かすぎる。
さらに、静寂を壊す
雷の大きな音にいちいち驚いて
どきどきしている。
こういうの、つり橋効果っていうんだっけ?
同じ空間にいるふたりが
同時に感じた不安や緊張のどきどきを、
脳が恋と間違えるという。
いまは、どっちのどきどきだろう?
「そのシャツ、似合いますね。ストライプの」
とっさに言った。
何か言わないと心臓の音がマスターに
聞こえてしまいそうで。
「似合いますか?ありがとう」
やっぱり、いい声だ。
マスターは慣れた手つきで
珈琲を出してくれた。
深煎りのキリマンジャロ。
ひとくち飲むと香ばしさが鼻に抜ける。
手のひらで粉引きの珈琲カップを包むと
温かい気持ちになった。
粉引きの食器は素朴さが好きだ。
たまたま入ったカフェだけれど
自分の好みに合っていると思う。
とても居心地がいい。
店内の間接照明が一斉に壁を照らすと同時に
再びバンドネオンの音色が聴こえてきた。
まるで堰き止められていた時間が
あふれて流れ出すように。
雨が止んだ。
ワンピースはすっかり乾いて
珈琲カップも空になった。
マスターと、もう少しだけ何か話したいと思う。
でも、これ以上この席にいる理由も話題も
見つからなかった。
もらった紙袋に
ネーブルオレンジを詰め替えて、
ごちそうさま、と財布を出した。
「また来てくださいね。待ってます」
彼はまっすぐに私を見た。
そして、少しせつない瞳でそう言った。
私、このひとを好きになる。
直観的にそう思った。
4
こんな気持ちになることがあるなんて。
はじめて会ったひとなのに、
雑踏で初恋のひととすれ違ったときみたいに、
胸の奥が甘くざわめく。
でも、自分だけが一方的にそう感じているなら、
スクリーンの中の主人公を好きになる
観客のようなものだと思う。
高校の放課後、片思いしていた男の子が
付き合い始めた彼女と廊下の窓から肩をならべて楽しげに
グラウンドを眺きこむ。
ふたりの背中を教室から黙って見つめていた。
あのときとレベル的には一緒だ。
恋に落ちるっていうのは
ふたり同時でないと意味がないもの。
静かに寄せる感情の波に
防波堤を作ろうとあれこれと集中してみた。
けれど、純粋に心は少女のように
高鳴るばかりだ。
ストライプのシャツがよく似合う
背の高いこのひととの
これからの物語。
どんな物語になるんだろう。
「また来ます。きっと」
そのとき、カフェに新しいお客さんが入って来た。
近所で働く会社員のようだ。
スーツ姿の男性。
そのひとと入れ替わるように店を出る。
雨上がりの町はまぶしくて美しい。
ドアベルは再び、
涼しくかわいらしい音を立てて閉まった。
5
客はカウンター越しに言った。
「この曲、今日もかけてるんだな」
「彼女の好きな曲だから・・・」
カウンターの奥で彼は唇だけで静かに微笑んだ。
「彼女、今日も来たんだな。すっかり日課だ」
新しい客は窓ごしに彼女の背中を見送りながら言った。
「うん」
彼は、客のために珈琲を入れ始める。
「いつものエスプレッソでいいか?」
「ああ。しかしおまえが会社まで辞めて、
この店の経営を引きうけるとは思わなかった。」
「勝手にプロジェクトチームから抜けて悪かった」
彼は、手元のエスプレッソメーカーをみつめた。
コーヒーの濃さはもう匂いでわかる。
すっかりカフェのオーナーになった。
「彼女の記憶、おまえと出会う直前まではあるのになあ」
元同僚でもある客は悔しそうに言い、
カウンターをコツンと叩いた。
「婚約してたって言ってもダメなのか?」
ものすごく仲がよかったのに、
半年前、些細なことで大ゲンカになり、
しばらく会えなかった。
それが原因で彼女の記憶が
少しだけ絡まり縺れている。
誰もが
「そんなことで・・・」と驚いたが
彼女はひとより少し繊細だった。
「おまえと過ごした日々だけがこぼれ落ちるなんて」
元同僚はため息をついた。
「いまは毎日眠るたび、この店に来た記憶が消えるみたいで」
彼は淹れたてのエスプレッソを元同僚にカウンター越しに手渡して、
目を伏せた。
「彼女の記憶が規則正しいリズムに戻るまで、
僕は待つよ。
今日来たことは忘れても、また明日には新しく会える。
それに、少しずつ記憶は戻ってきている気がするんだ。
今日はシャツを褒められた」
「彼女が選んだストライプのシャツか」
「ああ」
「いい傾向じゃないか。
この店に彼女が毎日来るようになったのも
どこかに記憶が残っているからだもんな。
それに一時的に消えた記憶は
ある日突然元に戻ることもあるって聞くから」
元同僚が元気づけるように言うと、
彼はやわらかい表情になった。
「そうだよ。きっとすべて思い出す」
重い雲の隙間から
雨上がりの道へ、
透き通った日射しがこぼれる。
彼は明るい窓の外を眺めた。
「この店は、僕らがはじめて出会った場所だからね」
僕たちはこの店で何度でも出会う。
そして、ふたりのこれからの物語を、
何度でもはじめるんだ。
おわり
「これからの物語」SumiyoⒸ2021
短編小説「これからの物語」を書いて
noteにアップしました。
静かな恋物語となっております。
その挿絵として水彩画で
「雨のカフェ」を描いてみました。
なぜ描いたかといいますと
小説の挿絵になる
フリー画像を探していたのですが
イメージ通りの写真がなかったため。
小説の中に登場する
「オブリビオン」という曲を
バンドネオン(またはチェロ)演奏
をBGMにコーヒーを淹れて
お読みくださると
お楽しみいただけるのではと思います。